柴犬の物語でAIに泣かされた日

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―― 経営者が作家になれた理由

「作家活動ができる」と気づいたのは、実はつい最近のことではない。10年ほど前、noteというサイトを見つけたときから、物語を書くこと自体は始めていた。ただ、本当に「これはいける」と確信したのは、2024年に初めてAIと出会い、自宅で飼っている保護犬の柴犬・リキを題材にした短編小説を書かせてみた時だった。出来上がった文章を読んで、自分で書かせたはずなのに、自分で泣いてしまった。

リキは、多摩川の河川敷で保護された柴犬だ。保健所では「チャカ男」と呼ばれていたらしい。うちに来た日、先住犬の「福ちゃん」に質問攻めにされながらも、少しずつ家族に馴染んでいった。プロローグはこんな一節から始まる。

「カンカンカンカン、、、。眠い💤。眠いよー。聞き慣れた音。ガタゴトン、ガタゴトン、、、。来た!奴が来た。闘うか?無理だ、また弾き飛ばされてしまう。」

保護されたばかりのリキの視点で、踏切の音や、見慣れない新しい家族とのやり取りを描いていく。先住犬の福ちゃんに「あんた誰?」と質問攻めにされ、たじたじになりながらも少しずつ言葉を返していくリキ。「力が強いから、名前リキでいいんじゃない?」というくだりで名前が決まる場面も、実際の記憶そのままだ。

この物語を、AIに読ませ、プロットを話し、リキの気持ちを一緒に膨らませてもらった。出てきた文章は、自分が伝えたかったことを、自分よりずっと上手な言葉で表現してくれていた。読みながら、実際にリキが保護された日のこと、家に来たばかりで戸惑っていた顔、少しずつ懐いていった日々のことを思い出して、涙が止まらなくなった。自分の記憶をもとにAIが紡いだ文章に、自分自身が動かされる。不思議な感覚だった。

AIがなかった頃、文章を書くというのは正直、苦しいものだった。時間がない。発想はあっても、書き始めると内容がコンパクトにまとまってしまい、最初に思い描いていたものとはどこかかけ離れてしまう。そのジレンマにいつも突き当たっていた。

今は、プロットを話すだけで、書きたかったことをほぼそのまま、上手な文法で形にしてくれる。時系列の整合性、セリフの言い回し――特に、福ちゃんのような女の子キャラクターのセリフは、自分は男なのでどうしても苦手だった――そして何より、圧倒的な制作スピード。ここは、自分だけでは絶対に無理だった部分だ。それでも、出てくる文章はほぼ自分の言葉のままで、違和感はない。伝えたかった気持ちが、そのまま形になっているという感覚がある。

本業(建設・経営)をやりながらの執筆に、今は特に大きなネックはない。現場に足を運ぶ回数自体が以前より減り、ネットさえ通じていれば、どこにいても創作ができるようになったからだ。

一番戸惑うのは、自分で創作したはずの物語なのに、AIの言い回しによって思いがけず感情移入させられ、もらい泣きしてしまうことだ。「こんな表現があったのか」と本気で驚く。経営者が、自分で作った保護犬の物語を読んで一人で泣いている――これは、社員にも家族にも、絶対に見せられない光景だと思う。それでも、この「もらい泣き」こそが、自分の中では創作を続ける一番の原動力になっている。

このサイトのコラムも、原価管理の仕組みも、AIを「業務パートナー」として使ってきたことは共通している。ただ、リキの物語だけは少し違う。数字も工程表も出てこない、ただ一匹の保護犬の記憶を、誰かに伝えたいという気持ちだけで書いている。そこにAIが加わったことで、経営者としての自分とは別に、もうひとつの居場所ができた。

中小企業の経営者にも伝えたい。本業を持ったまま、新しいカテゴリーで人生を満喫することができる時代になった。リキのような、たった一匹の保護犬との出会いも、AIの力を借りれば、誰かの心に残る一つの物語になる。

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