朝、目が覚める。
カーテンの隙間から入ってくる光を見ながら、枕元のスマホを手に取る。
天気を見る。
メールを見る。
LINEを見る。
ニュースを少し見る。
そして、パソコンを立ち上げる。
最近は、ここまでがほぼ一連の動作になっている。
コーヒーを淹れるより先にモニターの電源を入れることもある。
画面の向こうでは、昨日からの続きで「ちゃっとくん」と「コード君」が何やらやっている。
企画書の構成について、片方が案を出す。
もう片方が、「根拠が弱い」「この数字では説得力がない」と突っ込む。
すると、
「では、このように修正します」
と返ってくる。
朝っぱらから真面目である。
私はまだ半分寝ぼけたまま、二人のやり取りをぼんやり眺めている。
以前なら、朝の打ち合わせといえば会社に行って、人が集まって、コーヒーでも飲みながら、
「昨日の件、どうなった?」
なんてところから始まったものだ。
今は違う。
誰もいない部屋で、AI二人がすでに会議を始めている。
私が一番遅れて出社してきたような気分になる。
「まあ、その辺でいいだろ」
心の中でそう言って、いったん会議をOFFにする。
腹が減った。
朝飯にしよう。
近所のハンバーガーショップへ向かう。
店に入る前にスマホを開き、モバイルオーダー。
いつものセットを選ぶ。
サイズを選ぶ。
支払い。
注文完了。
店に着くと、カウンターの上のモニターに番号が出ている。
店員さんが袋を置く。
私はそれを受け取る。
「ありがとうございます」
店員さんが言う。
「どうも」
たぶん、これが今日最初の会話だ。
いや。
会話と呼んでいいのか。
こちらが「どうも」と言っただけなので、正確には会話ではないかもしれない。
そんなことを考えながらハンバーガーを食べる。
店を出て、またパソコンの前に戻る。
ここから夕方まで、ほとんど動かない。
見積書を作る。
工事計画書を直す。
メールに返信する。
Excelの数字を確認する。
SNSの文章を考える。
途中でわからないことが出てくると、「ちゃっとくん」に聞く。
回答が少し怪しいと「コード君」に見せる。
「この回答、合ってる?」
すると向こうが検証を始める。
面倒な仕事ほど、最近は人間よりAIに先に投げることが増えた。
昔なら、資料を一つ作るにも結構な時間がかかった。
数字を調べる。
文章を書く。
表を作る。
誤字を直す。
レイアウトを整える。
今は、それぞれを分解してAIに振る。
私はその間に別の仕事を片付ける。
便利になった。
間違いなく便利になった。
取引先とのやり取りも、ほとんどメールかLINEだ。
「承知しました」
「よろしくお願いします」
「添付をご確認ください」
「明日伺います」
これで大抵の仕事が進んでしまう。
電話も減った。
ましてや、わざわざ会って話をすることは本当に少なくなった。
昔の現場なら、朝礼があって、職人さんがいて、監督がいて、昼には誰かと飯を食っていた。
多少面倒な人間もいた。
話の長い人もいた。
すぐ怒る人もいた。
どうでもいい昔話を延々とする人もいた。
でも、人はいた。
今はパソコンの前に座っているだけで、仕事がかなり進む。
誰かに会わなくてもいい。
誰かとしゃべらなくてもいい。
気づけば夕方になっている。
時計を見る。
「もうこんな時間か」
さすがに一日中モニターを見ていると頭が疲れる。
さて。
一杯飲みに行くか。
パソコンを閉じ、外へ出る。
街には人がいる。
当たり前だが、たくさんいる。
すれ違う人。
スマホを見ながら歩く人。
友人同士で笑っている若者。
仕事帰りのサラリーマン。
なんとなく安心する。
まだ世界にはちゃんと人間がいる。
適当な居酒屋に入る。
入口で店員さんが元気よく言う。
「らっしゃいませー!」
お。
人間の声だ。
席に案内される。
椅子に座る。
すると店員さんがテーブルの端を指差す。
「オーダーはこちらのQRコードからお願いしゃす!」
「あ、はい」
スマホを取り出す。
QRコードを読む。
メニューが表示される。
生ビール。
刺身。
焼き鳥。
枝豆。
注文。
数分すると料理が運ばれてくる。
「お待たせしましたー」
「どうも」
また、それだけである。
ビールを飲む。
うまい。
二杯目を頼む。
もちろんスマホである。
料理を追加する。
これもスマホである。
店員さんを呼ぶ必要はない。
むしろ最近の店では、呼ばないほうがいいくらいだ。
そして三杯目。
画面を開く。
ハイボールのボタンを押そうとして、指が止まった。
そのとき、ふと思った。
「あれ?」
今日、人間としゃべったっけ?
朝。
ハンバーガーショップ。
「ありがとうございます」
「どうも」
昼。
誰ともしゃべっていない。
取引先はメール。
LINE。
仕事の相談相手はAI。
夕方まで、ほぼAIとしかやり取りしていない。
居酒屋でも、
「らっしゃいませー」
「お願いしゃす」
「お待たせしましたー」
これを会話と言っていいのだろうか。
少し考える。
今日、一番長く話した相手は誰だ?
間違いなくAIである。
しかも一人ではない。
二人だ。
朝から二人のAIに仕事の相談をし、
案を出させ、
議論させ、
修正させ、
最後に私が判断する。
一方、人間とは、
「どうも」
「あ、はい」
くらいしか話していない。
なんだこれは。
少し笑ってしまった。
昔、未来の社会を描いた映画では、ロボットが人間の仕事を奪うなんて話がよくあった。
でも実際に起きているのは、もっと地味なことなのかもしれない。
仕事を奪われる前に、
会話が減っている。
注文するために人と話さなくていい。
予約するために人と話さなくていい。
買い物するために人と話さなくていい。
仕事を進めるために人と話さなくていい。
困ったことがあっても、まずAIに聞く。
つまり、人間としゃべらなくても、一日が普通に成立してしまう。
これはかなりすごいことだ。
そして、ちょっと怖い。
昔なら、一日誰とも話さないなんて、かなり特殊な日だった。
今はそうでもない。
仕事をして、
飯を食って、
買い物をして、
酒を飲んで、
ちゃんと社会生活を送っている。
それでも人間とはほとんど話していない。
三杯目のハイボールが運ばれてくる。
「お待たせしましたー」
「ありがとう」
今度は少し意識して言ってみる。
店員さんは、
「はーい」
と言って去っていった。
それだけだった。
スマホをテーブルに置く。
画面にはまだQRコードの注文ページが開いている。
その横には、仕事のLINE通知。
さらにその下には、AIとの会話履歴。
全部、一枚のスマホの中に入っている。
便利になったなあ。
そう思う。
たぶん明日の朝も、起きたらパソコンを開く。
ちゃっとくんとコード君が、また何か議論を始めるだろう。
私はコーヒーを飲みながら、それを眺める。
そして仕事をする。
メールを送る。
LINEを返す。
モバイルオーダーで飯を頼む。
夜になれば、またQRコードで酒を頼むかもしれない。
そうして、
人間とほとんど話さないまま、
一日はきちんと成立する。
誰かに会わなくても、
誰かとしゃべらなくても、
特に困ることもなく、
仕事も生活も進んでいく。
たぶん、これは未来の話ではない。
もう始まっている日常の話なのだ。
そして私は三杯目のハイボールを飲みながら、もう一度だけ考える。
今日、人間としゃべったっけ?
まあいいか。
こうして今日も、
日常が通り過ぎていく。


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