私が2年生か3年生だった、まだ何もわかっていない若手の頃の話だ。舞台は、とある建物の大規模改修工事の現場だった。建築と設備が同時に動く、それなりに大きな現場だった。
その現場の所長は、絶対に定時では帰らない人だった。夜10時を過ぎたあたりでようやく腕時計に目をやり、「おっと、もうこんな時間か」「じゃ、お先に」と、まるで今気づいたかのような顔で帰っていく。毎日そうなのだから、今気づいているはずがない。所長の背中が現場事務所のドアの向こうに消えると、主任が椅子の上でバックブリッジのように背伸びをして、「さて、どうする?飲み行くか?」と私に聞いてくる。所長が帰るのを待っていたかのようなタイミングの良さだった。
現場の戸締りが済むのが午後6時。私についたあだ名は「代表戸締り役」。若手の登竜門だ。そこから本当の一日が始まる。日報を整理し、明日の段取りを親方に電話で確認し、資材の搬入順序を組み立てる。主任はさっきから近所の測候所に電話をかけている。「明日の天気、何とかならんか?晴れてくれんと困るんよ!」――受話器の向こうでこれを聞いている測候所の職員さんは、いったいどんな顔をしているのだろう。天気図は読めても、現場の主任の頼みだけはどうにもならない。主任に頼まれた月間工程表のたたき台を、消しゴムで何度も消しては定規を当て直し、また消す。集中して顔を上げると、目の前をさっきの所長が帰っていく姿がある。時間の感覚がおかしくなる、あの独特の感じは今でも覚えている。
主任と別れるのはいつも終電間際だった。土曜の深夜にやっていた人気の深夜番組『ギルガメッシュNIGHT』は、家に着いて布団に入る頃にはとっくに放送を終えている時間だ。翌朝は6時起床、また現場へ向かう。休みは3か月に1日あるかないか。彼女なんてできるわけがない。土日も、22時から主任に付き合って飲みに行き、週末は朝までやっている店も多いから、気づけば午前様。店を出てそのまま現場へ直行、なんてこともしょっちゅうだった。今思えば、コンプライアンスもへったくれもない、完全な縦社会だった。それでも当時は、それが「普通」だと信じて疑わなかった。
そんなある土日、事件は起きた。所長はゴルフでいない。主任は前夜の酒がまだ抜けておらず、まったく使い物にならない。経験の浅い私だけが、現場にひとり取り残された。段取りもろくに頭に入っていないまま、あっちへこっちへと右往左往していたところに、下請けの親方から現場事務所へ電話が入る。
「段取りがなってねぇ!弁当の手配忘れたのか、え?」
その一言で、頭が真っ白になった。慌てて弁当屋へ電話をかけたが、土曜の昼どき、そんな急な注文が通るはずもない。受話器を握ったまま固まっている私の耳に、親方の怒声が飛び込んでくる。
「おーい、みんな集めろ!帰るぞ!!」
その号令一発で、その日現場に入っていた職人さん33人が、道具を片付ける間もなくそのまま帰ってしまった。がらんとした現場に、私だけが立ち尽くしていた。何を謝ればいいのかさえ、うまく言葉にできなかった。
後日、親方から呼び出されて、こってりと油を絞られた。「どうだ、肝冷えたか」「忘れんじゃねーぞ」。短い言葉だったが、あのときの声のトーンは今でも耳に残っている。あれから30年以上経った今も、私は朝礼のあとに必ず若い職員へこう聞いている。「弁当、注文した?」もはや癖というより、体に刻まれた条件反射に近い。
あの頃の教訓は、今も色褪せない。段取り8分、仕事2分。段取りさえきちんとしていれば、仕事の8割は終わったようなものだ。逆に、段取りを怠れば、どれだけ現場で走り回っても取り返しがつかない。
今の時代なら、AIに聞けば発注のチェックリストくらいはいくらでも作ってくれる。実際、私も日々そうしている。ただ、あの土曜日にゾッとした感覚――受話器を握りしめた手の冷たさや、職人さんたちが黙って帰っていく後ろ姿の重さまでは、AIは教えてくれない。石の上にも三年ではなく、十年。経験というのは、そうやって痛みと一緒に体に叩き込まれるものなのだと、今でも思っている。


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